トップページ ≫ 社会 ≫ 埼玉の各地で起こった惨劇を忘れまい
社会
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100年前の9月1日に関東地方を襲った大地震は東京を中心に大被害をもたらした。火災も引き起こし、死者は約10万5000人に及んだ。死者の1~数%は震災下で虐殺された朝鮮人、中国人だと、2008年に国の中央防災会議が発表した。そのため近年は地震・火災被害ばかりでなく、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」などのデマが広がった故の虐殺が問題視されるようになった。
今は亡き母は小学生の時に、鴻巣で中仙道を朝鮮人たちが東京方面から護送されてきたのを目撃していた。「鴻巣では無事だったけど、熊谷では殺されてしまったらしい」と恐ろしそう語っていたのが忘れられない。当時の日本は朝鮮人を日本人としていたのに。
1965年の『市報くまがや』には「この不安と恐怖の中で、誰いうとなく朝鮮人暴行の流言ひ語が伝わり各地で多数の罪なき朝鮮の人々が殺害されるという事件が起こった」として当時の新聞記事を引用して「42名が中仙道筋表通りで殺害された」と記している。他の場所での被害者を加えると熊谷で57人、本庄88人、神保原42人(いずれも確認できた人数)と県北に集中している。
日朝協会埼玉県連合会による『かくされていた歴史 関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件』(1987年刊)では「デマの流布、伝播に当局が大きく関与していたことについては間違いのない事実です」と明言し、「内務省警保局では9月2日に海軍の船橋送信所を通じて『東京における朝鮮人暴動』を全国に打電し、各府県知事にその警戒を訴えています」とし、埼玉県では内務省の示唆で次のような内容の通牒文が各町村に発せられたという。「東京に於ける震災に乗じ暴行を為したる不逞鮮人多数が川口方面より或いは本県に入り来るやも知れず、又其間過激思想を有する徒之に和し彼等の目的を達成せんとする趣聞き及び其毒手を揮わんとする虞有……」
これにより各町村は自警団を組織して地域を守れとなり、自警団や一般民衆の凶行を招いた。さらに9月7日には流言を取り締まることを名目にして「治安維持令」を公布し、これが2年後の「治安維持法」に引きつがれていく。人々の恐怖心を利用して世論誘導する政治手法は今の世でもよく見られる。
『かくされていた歴史』には虐殺現場に居合わせた人の生々しい証言も多数収録されている。そんな中にも、朝鮮人たちをかばったり、食事など温い手を差し伸べた人がいたことを知ったのは、せめてもの救いだ。
山田洋
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