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年明けの13日に台湾総統選の投開票が行われ、与党・民進党の頼清徳副総統が当選した。中国による台湾統一に対抗姿勢をとる民進党が3期連続で政権を担うことになり、中国の習近平政権の対応が注目される。日本でも「台湾有事」として中台の緊張の高まりが憂慮されてはいたが、香港のデモに対する中国当局の抑圧への反発が高まった前回総統選のような争点はなく、野党・国民党との際立った違いも見出せなかった。
台湾を理解するには、その歴史と住民の成り立ちへの考察が必須だ。近代以前に住んでいたのはマレー・ポリネシア系の先住民族で、いくつもの部族に分かれている。1624年にオランダが台湾南部を占領した。1662年にオランダ植民地政権を倒したのが、清朝に追われた勢力だった。当時、漢民族が多数渡ってきたが、この政権は1683年に清に降服した。大陸の福建省や広東省からの移民も増大していった。その清国も日清戦争で敗れ、1895年に台湾は日本に割譲された。この時点での漢民族移民とその子孫が本省人と呼ばれる。彼らは大日本帝国の国民となった。
中国大陸では1911年に清朝に代わって中華民国が建国された。1937年に日中戦争が始まると、台湾移民は大陸の中国人にとっては敵国人の立場になった。1945年8月、日本の敗戦により、台湾は中華民国の一地方自治体に。その後、中国共産党との内戦に敗れた蒋介石率いる中国国民党は「中華民国」の国号を維持しつつ大陸から台湾に逃れた。彼らは外省人と呼ばれる。大陸では1949年に共産党による中華人民共和国が成立した。2300万人という台湾の人口比は、先住民2%、本省人85%、外省人13%とされる。
蒋介石による一党独裁政権について東京外国語大学名誉教授の小笠原欣幸氏は「市民的自由を抑圧し、警察・情報機関を使って住民を監視し、反共産主義に名を借りて、批判的な人間を逮捕、投獄、処刑していった」として、「この体制に対する批判の中から台湾独立という考えが生まれてきた。それは、中国国民党による台湾支配を打倒して、中国と関係のない台湾の国家(台湾共和国)を建国したいという考えである」と指摘している。
1975年に蒋介石が死去、後継者の息子・蒋経国の時代になると、経済成長にともない、ゆるやかな民主化に向かった。彼が1988年に亡くなり、副総統だった李登輝が本省人として初めて総統に就任し、民主化を推し進めた。1996年からは総統は直接選挙で選ばれることになり、2000年の総統選では、台湾ナショナリズムを党理念とした民進党の陳水扁が当選し、それまでの反体制派が政権を握った。
2008年と2012年の総統選では国民党の馬英九が当選したが、その政策は、中国と連携するものの統一は事実上拒否していた。民進党は国民党と違って中国共産党と戦った歴史はなく、こちらも中国を刺激して敵対しようとはしない。
しかし、台湾は国際政治において中国に抑え込まれている。台湾本島と周辺の島を実効支配していることでは独立国家と同じだが、国際的承認が欠けているのだ。日本も台湾を国家として承認していない。
複雑きわまる歴史と現状に直面し、どう切り抜けていくのか、台湾の現実的判断は日本も学ぶことが多いはずだ。
山田洋
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