トップページ ≫ 社会 ≫ 有権者と統一地方選言行の不一致と民主主義
社会
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新年早々、大それたタイトルにしたが、民主主義なるこのシステムは、本来は身近なところにその根源があることを忘れてはならない。たとえば、家庭内において、夫たるものが妻たる女性をいつも下位にみていたとしたら、民主主義は存在しない。男女の機能的差異を認め合って、互譲の精神をもって敬い合えば、その家庭は民主的家庭だ。“家庭にまで何が民主主義だ!”という声が聞こえてきそうだが、そうではあるまい。根っこの部分が腐っていて、幹も枝も生育する筈がないからだ。
同じように、民主主義の政治的原点は選挙にある。特に地方の選挙が、自覚された有権者の手によって進められなかったら、根っこからおかしくなる。しかし、地方選挙の実態は相も変わらず、地方の有権者やボス達によって流布された情報等によって行われてしまうのが定番。たとえば、ここに有力な人物が居るとする。有力とは権力を必ずしも有していないが、影響力が大である人と言った場合――大学の教授や、元校長や、法律家等々が挙げられよう。大方、この人達、いわゆる有識者は“質の悪い政治家はダメだ。人格の低い者はダメだ。学歴がうんぬん”をまことしやかに説いていることが圧倒的に多い。しかし、いざ地方選となると、やれ、どういう関係があるのでとか、誰から頼まれてしまって等々をまことしやかに説いて、選挙を依頼する例にまわっているのが残念ながら現実だ。
今年の統一地方選も、何ともその資格を疑いたくなるような人物が立候補しているのが目に余るが、いわゆる有識者と称する人たちが票集めに走っているのをみると、まことに民主主義という仮面の世界を見せ付けられているようで、失望の底に突き落とされるような気持ちを選挙のたびに抱かざるを得ないのは悲しいはなしだ。いかに地方の選挙、地方の政治家といえ、本来は民主主義の大切な現場であり、その現場のリーダーであることを肝に銘じることが大切だ。
政治家を馬鹿にしているのが現在の社会的風景だが、馬鹿で資格の無い人々を議場に送っている主人公は有権者であることだけは間違いない。優れた木を育てるには、その根っこに質の高い水分を与える以外にないのだ。
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