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プロ野球の読売巨人軍で選手、監督として輝かしい実績を残した川上哲治さんが10月末に亡くなった。選手時代の後半以降しか私は知らないが、球界でも特別な存在だった。テレビの普及以前だったから、ラジオの試合中継や新聞、ニュース映画が情報源だったが、バッターボックスでの所作等にも理想の打撃を追求する求道者の趣があり、「打撃の神様」という呼称がぴったりだった。彼の選手としての最晩年に鳴り物入りで入団した長嶋茂雄選手には、対称的に「重みがないなあ」と感じたほどだ。
私が野球ファンになったきっかけは、小学生時代に母の弟から贈られたバットだった。塗料なしの白木で、巨人の主力バッターの毛筆によるサインが入っていた。千葉茂、南村不可止、川上哲治の3選手で、そろって達筆だった。当時の打順でいえば、2番、3番、4番だ。1番も欲しいところだが、その与那嶺要選手はハワイ育ちで漢字は苦手だったはずだ。叔父は何かの懸賞応募で当てたらしい。
このバットは私の宝物になったが、縁の下に置いといたら、次第に墨文字が薄れ、ついに完全に消えてしまった。押し入れにでも入れて大切に保管しておけばよかったと、今でも悔やんでいる。
川上さんが現役を引退し、巨人の監督になってからは、9連覇を含む11度のリーグ優勝と日本一の座を獲得した。勝つことに徹し、管理野球をきわめた。マスコミの取材にも非協力的で、次第に憎まれ役のイメージがつきまとうようになった。私も強すぎる巨人を応援する気にもなれず、いつしかアンチ巨人の仲間入り。
ところが、何年か前、スカパーの日本映画専門チャンネルで川上さん出演の2本の映画を見て、新たに親しみを感じた。まず『エノケンのホームラン王』(1948年 新東宝)。エノケンとは「日本の喜劇王」と呼ばれ、舞台、映画そして歌で大活躍した榎本健一のこと。小柄だが運動神経抜群で、この映画でも画面を縦横に動きまくる。三原監督以下巨人軍の選手が総出演という触れ込みで、なかでも川上さんは重要な役柄だ。当然せりふも多く、熱演している。
もう1つは『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』(1964年 東宝)で、タイトルどおり長嶋茂雄選手を中心とした映画だ。川上さんは監督として登場、三冠王をめざす長嶋選手を温かく見つめる。ある時期から2人の関係は悪くなったと言われているが、この映画ではそんな気配はまったくない。
川上さんの出演映画はもう1つある。私も中学時代に見た『川上哲治物語 背番号16』(1957年 日活)で、選手引退の前年の作品。
川上さんの半生を描いたものだが、戦後の部分はご本人が演じている。ちなみに熊本工業時代のキャッチャー、吉原の役は若き日の宍戸錠がキビキビと演じ、小林旭も巨人選手役で顔を出していたようだ。脚本を書いた池田一朗(故人)は、後に隆慶一郎の名で時代小説で人気を集めた人だ。
スター選手の映画出演というのはプロ野球と映画の興隆期ならではの話で、今では考えられないだろう。川上さんの訃報に接し、もう一度出演映画を見たくなった。『エノケンのホームラン王』だけはDVD化されたようだが、レンタルビデオ店にはなかった。テレビでの放映を期待したい。
(山田 洋)
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