トップページ ≫ 社会 ≫ 80年代の「ミニFM」ブームを再検証~コミュニティFMの魅力を探る
社会
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1991年に公開された映画「波の数だけ抱きしめて」は、1980年代に流行した「ミニFM」を題材として取り上げた作品だ。1980年代当時は、まだ放送に対する規制が厳しく、FM放送もNHKとFM東京やFM大阪といった大都市圏の広域民間放送にしか免許が与えられなかった。70年代には、既存の放送局の番組に飽き足りない若者が、秋葉原や大阪日本橋のパーツ店などで売っていたFMトランスミッター(送信機)を改造し、無免許のアンダーグランド放送をすることが流行ったが、電波法違反で次々と摘発されてしまった。80年代に入り、ソニーやアイワなど大手メーカーがFMトランスミッター(当時は100mの距離で15μV/m以下の微弱電波なら電波法の規制を受けることなく自由に電波が出せた)を販売し、東京・青山のKIDSや代官山のTwo & Half、清瀬のコスモミュージックステーション、「波の数だけ抱きしめて」のモデルとなった湘南のFM Bananaなど、全国的に開局ラッシュとなり、大手広告代理店も参画して、一大ブームとなった。しかし、規制緩和の流れを受けて、FM横浜やJ-WAVEなど、洋楽が中心に編成され、バイリンガルで放送する所謂オシャレ系の広域、県域FM局が次々と開局され、微弱な電波で限られたエリアにしか放送できないこともネックとなり、いつの間にか「ミニFM」ブームは下火になってしまった。
その後、1992年放送法改正により制度化されたコミュニティFMは、「地域密着型」のFM放送局である。北海道函館市の「FMいるか」を第一号に、日本全国265局が開局され、埼玉県でも「エフエム茶笛」(入間市)、「フラワーラジオ」(鴻巣市)、「REDS WAVE」(さいたま市浦和区)、「すまいるFM」(朝霞市)が放送中である。 どの放送局も出力が1~20wと微弱で、サービスエリアは限定されるため、NACK5のように埼玉県全域をサービスエリアとする県域放送とは一線を画し、地域情報を中心に放送する媒体である。
コミュニティFMと「ミニFM」は、性質が異なるため、混同することは避けなければいけないが、「ミニFM」の存在無くして、コミュニティFMが誕生することはなかったのだ。事実、「波の数だけ抱きしめて」に触発されたキャスターの木村太郎氏は、神奈川県葉山町に「Shonan Beach FM」を開局させた。
コミュニティFMが制度化され22年経つが、その間、阪神淡路大震災や、東日本大震災など大規模災害が起き、その都度コミュニティFMは、地域における非常用伝達手段としての役割を果たしてきた。ライフラインがダウンしても、ラジオさえあれば地域のきめ細かな身近な情報を入手することができるので、災害が起きる度に見直されてきた。
コミュニティFMは、きめ細かな地域の情報発信や、災害時の役割など、魅力的な部分がある一方、サービスエリアが小さいため、スポンサー獲得がなかなか困難で、安定した経営ができない放送局も存在する。コミュニティFM局の半数以上が第三セクター会社で、自治体の財政状況によって経営が左右されやすく、事実倒産した放送局もある。
とはいえ、常に良質な番組を放送することで、リスナーを増やしているコミュニティFM局には、地元企業もバックアップし、所謂ナショナルスポンサーと呼ばれている全国規模で事業展開する企業もスポンサーとして名を連ねているケースもあり、規模が小さいから、媒体として魅力がないとは一概には言えないのだ。
80年代の「ミニFM」ブームの時は、コミュニティFMより、もっと規模は小さかったが、大企業がスポンサーとして名乗りを上げたこともあったのだ。
まだまだコミュニティFMには、未知なる可能性がある。如何に地域の「いいもの」を発掘し、発信し続けることが必要不可欠だが、「いいもの」には注目が集まり、媒体としての魅力も増すというものだ。
(直木 龍介)
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