トップページ ≫ 社会 ≫ 逝ってしまった実業家中條高徳先生
社会
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私はその時、小田原にいた。
二宮尊徳翁を記念した報徳会館での神道のはなしに耳を傾けていた。その時、奇しくも尊敬するアサヒビール名誉顧問の中條高徳先生の訃報を知った。87才だった。しかも先生はすでに昨年のクリスマスイブの日に逝去なさっていたとのこと。涙がこみあげてきた。
奇しくもと書いたのは、先生は日本の歴史や伝統を重んじ、晩年は特に日本の神道にもふれ、日本人の誇りについていつも語っていたからだ。もちろん、政治においても保守主義の大切さを信念としてもっていた。
中條先生はアサヒビールが業界最下位の時、専務取締役営業本部長として大活躍をし、アサヒを今日までの地位に押し上げて名声を博した。先生の経営はつねに孫子の兵法の実践だった。天下の秀才が集った陸軍士官学校を卒業、旧制の松本高校、学習院大学とすすみ実業界入りした先生は、兵法の戦う術を熟知していて、特に組織におけるリーダーの大切さを身をもって示された。リーダーと部下は常に同じベクトルに向かって進めば、必ず成功し、リーダーは部下の尊敬の的でなければならないと説いて来た。
そして先生は、ユーモアの名手だった。人間味も深く、常に人を惹きつけて離さなかった。15年前、熱海で芸者さんをあげて飲んだ時も、先生のもて方は群をぬいていた。失礼ながら決して美男子でも何でもなかった。しかし、女性のもてなしがとにかくうまかった。やさしかった。奥深い教養を易しく表現し、それが何ともいえない男の色気となった。
真にもてる男は、ユーモアがあって、財力もあり、体力も必要だと、自信ありげに笑っていたのが今でも忘れられない。
経済人が歴史に造詣が深く、政治にも信念をもっているのが魅力だった。逆に政治家も、歴史や文学にたけ、経済に強かったら一流ではないか。
中條先生から私が得たものはあまりにも大きく、日本の政治家や経済人も中條先生から得たものは計り知れないものがある筈だ。 合掌
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